最新更新日:2014-09-11
生まれて始めてお金を稼いだということで、考えると
アルバイトを最初にしたのは高校1年のときだろうか。
旺文社が出してる(出してた)受験雑誌に蛍雪時代というのがある。
あれ、これではなかったかな。
当時、学習研究社(学研)と旺文社とが
この手の雑誌を作っていて、研究社のほうは「中1コース」「中2コース」
「中3こース」とかいう雑誌名で、かたや旺文社は「中1時代」「中2時代」
「中3時代」(これと勘違いか)
高校の1年のときに、ある先生から受験のときの体験記を書かないかと
勧められた。文章を書くのは苦手だったが、先生に勧められて、いちおう
書いた。それを旺文社に提出した。まあ、採択にはならないだろうと思っていたが
ある日、わが家に電報が来た。(当時、まだわが家には電話がなかった。
多くの家がそうであるように)
そして、あの意味不明なカタカナの列があった。やっと解読すると、
そこには、採用だから至急、写真を送れと書いてあった。
すぐにと言われても、今のように一分間写真とかはないので、
これには大いに困った。そこで、たまたま弟の写真があり、弟と私は
似ていると言われていたから、まあ、わかるまいと、弟の写真を
送ってやった。そうしたら、出版された、中3時代に、私の手記が
弟の写真と共に掲載されていた。
のちに、お金が送られてきた。現金封筒だったと思う。
これがアルバイトの始まりになろうか。
このあと、しばらくはアルバイトをしてない。次にアルバイトを
したのは、大学に合格し、少しヒマになった3月か2月ではなかったか。
親戚の紹介で、生地問屋で働くことになった。
ここでの仕事は単純に生地(もちろん、相当重たいものもある)を
あっちから、こっちへ移動したり、注文の長さに切ることであった。
ほとんど頭を使わない仕事で、私はゆううつになった。
こんなことはロボットにさせればいいと。
大学生のときのアルバイトは家庭教師だった。
記憶は薄いが、3ヶ所くらいだったように思う。
一つは、表参道の同潤会青山アパートの裏手あたりにあった家。
一つは浅草花川戸の家。あと一つは、さてどこだったか。