「ローマ法王の死」そろそろ、エッセーの順番ですよと、促された。 もうそういう時期かと思い、下書きをしたため始めた。そのころ、ローマ法王が危篤という情報がニュースで流れていたので、 父親の死を思い出し、父との死に対面したときのことでも書こうと思った。 父は尊敬に値する人間であった。 まあまあ書けてきたのだが、突然、JRの脱線事故という思いがけない 惨事がまいこんできて、時期的に掲載はまずいと思うようになった。 そこで、いまGWが始まったばかりだが、別のことを書くことにした。 ただ、下書きをボツにするのももったいないので、その結論の落ちの部分だけを 掲載しておこう。 それは次の一節である。 「最後に、おまんじゅうが大好きな人のために、1個のおまんじゅうを 永久的に食べていられる秘術をお教えしておこう。それは、『半分に割って、 片方を残し、片方を食べなさい』ということです。 ほらね。いつも半分残ってますから、これで永久に食べることができる というわけです。(~_~) 」(ホントかな?) |
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「日本語は難しい」日本語はむずかしい。コマーシャルにこんなのがあった。 「○○○のこうずはすべて同じではない。」 これは(すべて「同じではない」)なのだろうか、(「すべて同じ」ではない) なのだろうか。 日本語の文章を読むとき、解釈が2通り以上考えられる場合がある。 いったい、みんなはどうしてるのかというと、 きっと、どちらかの解釈をして、それで済ませているに違いない。 妥協しているに違いない。 解釈があいまいだということを気にしだすと、なにもかもが 解釈があいまいなことに気がつく。考え始めるときりがなくなる。 そして潔癖症に陥る。 世の中には「潔癖症」がいる。 バイキンが気になる人だ。そして、 バイキンを殺菌するために、手を洗う。しかし、蛇口に触らなければ ならない。しかし、蛇口にもバイキンがついてるかもしれない。タオルで手をふく。 しかし、タオルにもバイキンがついてるかもしれない。 そうすると、また手を洗わなければならない。きっとある程度までで やめてしまうのが普通の人である。 それを永久的に続けてしまうのが潔癖症である。 所詮、バイキンを完全に排除するのは不可能なのだから、適当なところで やめてしまうのが常人である。割り切ることが大事である。 TVでやってたのを見たが、顔の皮脂腺の中にもダニがいるらしい。いくら清潔に してもダニはいるというのだ。それをすべて取るのは不可能なそうで、 ダニがいても、問題はないそうである。 日本語の解釈もその程度に考えていたほうがよさそうである。 あくまで厳密にということを貫けば、とても窮屈になる。 日常に関することならば、それで済ませてしまえばいい。 逆に、学問的に厳密に定義をしたいときには、日本語では無理である。 いま、日本語と述べた部分は英語と置き換えても同じである。 と、いま、こう書いているのも日本語であり、きっと、いままで私が 述べたことを私の意図通りにとらえてくれてるのかなというと、それも疑問である。 |
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パスカル大学の授業で、コンピュータの言語を教えているが、コンピュータの言語 にもいろいろあり、情報数理学科ではパスカルをメインに教えている。 Cではない。よく学生から聞かれる質問は、なぜCではなくパスカルなんですか? それは教育的にストレートだからだよと説明をしている。 パスカル言語はどうやって誕生してきたかというと、母体はALGOL(アルゴル) という言語である。そして、このアルゴルはどこからきてるかというと、 言葉の由来はアルゴリズムで、まさしく、アルゴリズムを記述 することを目的として作られた言語である。 すべての人にあやまりなく、あいまいさがなく、伝えることを目的として 作られた言語である。コンピュータとは関係がないのである。 もともと、コンピュータを意識した言語ではない。 しかし、そのままコンピュータ言語として、実用になればいいと誰もが 考えるに違いない。そして、まさしく、アルゴルはいくつかの コンピュータの上でインプリメントされた。 実際、私の学生のときの卒業テーマは「Implementation of ALGOL60」であった。 当時の、(いまから考えれば)チャチなコンピュータ上では、相当な無理があった。 その後もALGOL-60は発展する。世界的にはALGOL-68として、そして日本では 有志が集まって、ALGOL-Nとして発展したが、私もそのメンバーに 加わっていた。 定期的に月に一回、土曜日に学習院大学の米田信夫先生のところに集まって ALGOL-Nを世界に広めるよう努力をした。 これとは別筋で、アルゴルをもっとコンピュータに載せやすいように 簡略化しようとするグループがあって、そこから、パスカルが誕生した。 ALOGOLの良さを残しつつ、インプリメントが簡単に作れるように、 つまり実用性を考えたのがパスカルである。 |
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健康診断でこういうときに、どの項目にチェックをすればいいか、悩んだことはありませんか?とくに、数学屋さんは、こういうときに悩んでしまう。 大学では定期的に、年一回、秋に健康診断がある。もちろん血液検査もある。 生活習慣の調査表の提出もある。 血液検査があると、朝食抜きで受けないといけない。そう書いてある。 しかし、調査書のほうの項目で 「A.朝食を毎日食べる」 「B.ほとんど食べる」 「C.ときどき食べる」 「D.食べない」 とあった場合、あなたはどれにチェックしますか? 私は、この日以外は毎日、朝食は摂っている。 1年にいっぺん、検査があるとするとAという答えは不可能なわけです。 ああ、日本語ってむずかしい。 |
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三つ巴?三すくみ?いまGWが始まり、久しぶりに娘がわが家に戻ってきている。2日間、泊まっていくとのこと。ここ数年、実家に2泊することはなかった。 なにか用事があって、家にきてもせいぜい1泊だった。 ところが、喜ぶべきはずなのに、憂うつな部分もある。 わが家は息子も外に出でしまったので、普段は二人で暮らしている。 こちらはわがままだから、家では適当に好きなことを気がねなくしゃべっている。 とても、平静に過ごしていられる。 ところが、娘が帰って来ると、 うちの奥さんは娘とばっかり、おしゃべりになる。機関銃のように よくしゃべる。 まあまあ、こちらも、べつのことをしながら、その会話を小耳にはさみ、 そして、ちょっとだけ、口をはさんで、これまた平静である。 ところが、ちょっと困ったことが。。。 うちの奥さんがトイレに立つだの、食事の準備などで場を離れるときがある。 娘と母との会話が、突然に無くなり、静かになるのだ。 さあ、そうすると大変である。 娘と父の二人っきりになると、お互い(ではなくて、私だけなのかもしれないが) 気まずい思いになる。静寂なときが流れてしまう。どちらも、無口になってしまう。 あ、これはイカン、なんとか場を冷めささないように、なんか しゃべらなければとは思いつつ、何も言葉が出ない。 こういうときの気まずさがつらい。早く、奥さんが会話に入ってこないかなあと ひたすら、待ちわびるのである。戻ってくるとホッとする。 うちの娘は私と似て無口なんだろうか、それとも母に似ておしゃべり なんだろうか。両方の面を持っているようで、よくわからん。 よく、トンチ(?)で、こういうのがある。 「ある男がボートで川を渡ろうとしている。男は羊と狼を連れており、 男が居なければ狼は羊を食べてしまう。さてどうする?」 といったような問題である。 このような問題を連想してしまう。 なにかいい知恵はないだろうか。アイデアがある人は、ぜひ、 こちらに お知らせねがいたい。 |