リレーエッセイ −− 「ローマ法王の死」「日本語は難しい」(2005年5月)



「ローマ法王の死」

そろそろ、エッセーの順番ですよと、促された。 もうそういう時期かと思い、下書きをしたため始めた。
そのころ、ローマ法王が危篤という情報がニュースで流れていたので、 父親の死を思い出し、父との死に対面したときのことでも書こうと思った。
父は尊敬に値する人間であった。
まあまあ書けてきたのだが、突然、JRの脱線事故という思いがけない 惨事がまいこんできて、時期的に掲載はまずいと思うようになった。
そこで、いまGWが始まったばかりだが、別のことを書くことにした。 ただ、下書きをボツにするのももったいないので、その結論の落ちの部分だけを 掲載しておこう。
それは次の一節である。
「最後に、おまんじゅうが大好きな人のために、1個のおまんじゅうを 永久的に食べていられる秘術をお教えしておこう。それは、『半分に割って、 片方を残し、片方を食べなさい』ということです。
ほらね。いつも半分残ってますから、これで永久に食べることができる というわけです。(~_~) 」(ホントかな?)

「日本語は難しい」

日本語はむずかしい。
コマーシャルにこんなのがあった。
「○○○のこうずはすべて同じではない。」
これは(すべて「同じではない」)なのだろうか、(「すべて同じ」ではない) なのだろうか。
日本語の文章を読むとき、解釈が2通り以上考えられる場合がある。
いったい、みんなはどうしてるのかというと、 きっと、どちらかの解釈をして、それで済ませているに違いない。 妥協しているに違いない。
解釈があいまいだということを気にしだすと、なにもかもが 解釈があいまいなことに気がつく。考え始めるときりがなくなる。 そして潔癖症に陥る。
世の中には「潔癖症」がいる。 バイキンが気になる人だ。そして、 バイキンを殺菌するために、手を洗う。しかし、蛇口に触らなければ ならない。しかし、蛇口にもバイキンがついてるかもしれない。タオルで手をふく。 しかし、タオルにもバイキンがついてるかもしれない。 そうすると、また手を洗わなければならない。きっとある程度までで やめてしまうのが普通の人である。
それを永久的に続けてしまうのが潔癖症である。
所詮、バイキンを完全に排除するのは不可能なのだから、適当なところで やめてしまうのが常人である。割り切ることが大事である。
TVでやってたのを見たが、顔の皮脂腺の中にもダニがいるらしい。いくら清潔に してもダニはいるというのだ。それをすべて取るのは不可能なそうで、 ダニがいても、問題はないそうである。

日本語の解釈もその程度に考えていたほうがよさそうである。
あくまで厳密にということを貫けば、とても窮屈になる。
日常に関することならば、それで済ませてしまえばいい。
逆に、学問的に厳密に定義をしたいときには、日本語では無理である。
いま、日本語と述べた部分は英語と置き換えても同じである。 と、いま、こう書いているのも日本語であり、きっと、いままで私が 述べたことを私の意図通りにとらえてくれてるのかなというと、それも疑問である。

パスカル

大学の授業で、コンピュータの言語を教えているが、コンピュータの言語 にもいろいろあり、情報数理学科ではパスカルをメインに教えている。 Cではない。
よく学生から聞かれる質問は、なぜCではなくパスカルなんですか?
それは教育的にストレートだからだよと説明をしている。
パスカル言語はどうやって誕生してきたかというと、母体はALGOL(アルゴル) という言語である。そして、このアルゴルはどこからきてるかというと、 言葉の由来はアルゴリズムで、まさしく、アルゴリズムを記述 することを目的として作られた言語である。
すべての人にあやまりなく、あいまいさがなく、伝えることを目的として 作られた言語である。コンピュータとは関係がないのである。
もともと、コンピュータを意識した言語ではない。
しかし、そのままコンピュータ言語として、実用になればいいと誰もが 考えるに違いない。そして、まさしく、アルゴルはいくつかの コンピュータの上でインプリメントされた。
実際、私の学生のときの卒業テーマは「Implementation of ALGOL60」であった。
当時の、(いまから考えれば)チャチなコンピュータ上では、相当な無理があった。
その後もALGOL-60は発展する。世界的にはALGOL-68として、そして日本では 有志が集まって、ALGOL-Nとして発展したが、私もそのメンバーに 加わっていた。
定期的に月に一回、土曜日に学習院大学の米田信夫先生のところに集まって ALGOL-Nを世界に広めるよう努力をした。
これとは別筋で、アルゴルをもっとコンピュータに載せやすいように 簡略化しようとするグループがあって、そこから、パスカルが誕生した。
ALOGOLの良さを残しつつ、インプリメントが簡単に作れるように、 つまり実用性を考えたのがパスカルである。

健康診断で

こういうときに、どの項目にチェックをすればいいか、悩んだことはありませんか?
とくに、数学屋さんは、こういうときに悩んでしまう。
大学では定期的に、年一回、秋に健康診断がある。もちろん血液検査もある。 生活習慣の調査表の提出もある。
血液検査があると、朝食抜きで受けないといけない。そう書いてある。
しかし、調査書のほうの項目で
「A.朝食を毎日食べる」
「B.ほとんど食べる」
「C.ときどき食べる」
「D.食べない」
とあった場合、あなたはどれにチェックしますか?
私は、この日以外は毎日、朝食は摂っている。
1年にいっぺん、検査があるとするとAという答えは不可能なわけです。
ああ、日本語ってむずかしい。

三つ巴?三すくみ?

いまGWが始まり、久しぶりに娘がわが家に戻ってきている。
2日間、泊まっていくとのこと。ここ数年、実家に2泊することはなかった。
なにか用事があって、家にきてもせいぜい1泊だった。
ところが、喜ぶべきはずなのに、憂うつな部分もある。
わが家は息子も外に出でしまったので、普段は二人で暮らしている。
こちらはわがままだから、家では適当に好きなことを気がねなくしゃべっている。 とても、平静に過ごしていられる。
ところが、娘が帰って来ると、 うちの奥さんは娘とばっかり、おしゃべりになる。機関銃のように よくしゃべる。
まあまあ、こちらも、べつのことをしながら、その会話を小耳にはさみ、 そして、ちょっとだけ、口をはさんで、これまた平静である。
ところが、ちょっと困ったことが。。。
うちの奥さんがトイレに立つだの、食事の準備などで場を離れるときがある。 娘と母との会話が、突然に無くなり、静かになるのだ。
さあ、そうすると大変である。
娘と父の二人っきりになると、お互い(ではなくて、私だけなのかもしれないが) 気まずい思いになる。静寂なときが流れてしまう。どちらも、無口になってしまう。 あ、これはイカン、なんとか場を冷めささないように、なんか しゃべらなければとは思いつつ、何も言葉が出ない。
こういうときの気まずさがつらい。早く、奥さんが会話に入ってこないかなあと ひたすら、待ちわびるのである。戻ってくるとホッとする。
うちの娘は私と似て無口なんだろうか、それとも母に似ておしゃべり なんだろうか。両方の面を持っているようで、よくわからん。

よく、トンチ(?)で、こういうのがある。
「ある男がボートで川を渡ろうとしている。男は羊と狼を連れており、 男が居なければ狼は羊を食べてしまう。さてどうする?」
といったような問題である。
このような問題を連想してしまう。
なにかいい知恵はないだろうか。アイデアがある人は、ぜひ、 こちらに お知らせねがいたい。
神居 雅志 東海大学理学部情報数理学科