HDDがなくなる時



コンピュータからHDDがなくなったとき、初めて、一つの時代が去ることになる。


TVから真空管が消えたとき、初めて一つの時代が去ったように。
いくら進歩しても、なかなかTVから真空管が消えずにいた。
たった一つだけ。

それはブラウン管。
これだけのために、多大な電気を消費しなければならない。

また電話においては、あのリンギングベル。これだけの為に、高い電圧がいる。
ほかの部分はすべて低消費電力低電圧で動くというのに。
いまコンピュータで動系になってるのはたった一つハードディスクだ。 なぜ、これが消えていかないかというと、ほかにたくさんのメモリを 記憶できるものが現われないからだ。 動系があるかぎり、不安定さは残る。コンピュータが落下などに耐える ことができない。また動くかぎり、摩耗が起きる。寿命がある。

可動部分が残る限り、不安は残る。
そこで昔はこういうことを考えた。 ポータブルなコンピュータが出現したとき、必要なデータファイルが あっちとこっちと、つまり、自宅や大学、それにポータブルに ちらばってしまう。どこに置いてあるのが最新なのか、 だんだんとわかりづらくなってくる。常にシンクロさせることが難しい。 またポータブルにだけ貴重な情報を入れ、万が一、ポータブルをおっこどして HDDが壊れたら。。と考えると、夜も寝られない。 そこで、データは自宅あるいは大学に置いておいて、ポータブルからは これらのサーバーのファイルを読んだり、修正したりするように しようと。そのためには、リモートで、それらをアクセしなければ ならない。歩きながらできるためには無線電話しかないだろう。 しかも、電話代が気にならないように、そうだ、電話の子機のような ものにすればいいと。そしてそのころPHS(最初のころはPHPという言葉 を使っていたが、誤解が発生しそうなのでPHSと変えた) が出て、可能となった。
神居 雅志 東海大学理学部情報数理学科