INDEX (2005.08) 歴史はウィキペディアを参考にまたは正統派のJPNICを参考にどうぞ
JUNETとは日本で行われた最初のインタ−ネット実験ネットワ−クです。
音を送る
ニュースを知る
300ボーのモデムで電話接続
電話設備の工事資格の免許を取る(工事担任者試験)
イェローケーブル(オレンジケーブル)
ゼミ生に笠井、マッキー(元日本サン、現ベリサイン)、山田さんがいた華やかな時代
渡部、園部、岩沢のころは、毎週が飲み会だった
「アセンブラ」の授業の期末テストは過酷だった。でも、いまはいい思い出と、卒業していった学生は言う。
SRAの栗原(元ゼミ生)にはお世話になった
SRAに行った帰りは新宿のビアガーデンで
実中研にはお世話になった。ネットの実験はほとんどここで行った。柳田所長に感謝
通信のための電話代をなんとか節約できないか、考え出したのが、無線。そこで、急きょ、ハムの免許を取得。実中研と自宅とを無線で結ぶ
いまはソニーにいる工学部院生、エンヤこと塩野は面白い人間
計算センターの星野さん、海津さん、荒川さんとエンヤそれと竹越さん
ある日、突然、ドアをノックしてセンタ−の星野さんがゼミ室に来た。その日が運命の日
そのあとは、松田さん、空君、竹下君、AOの小原君、松村君。「怪」と呼ばれた男たちと黒滝さんや台風女(木川さん?)
日本サン、設立時に、村井純氏と会う
日本サンは1階に交通公社が入ってる、とあるビルの2階の小さなワンフロアから始まった
日本シスコはとあるビルの2階のワンフロアから始まった
シスコで世界で始めて新卒大学生を採用したときに、研修責任者になった。そのときのヒヨコちゃんたち6人はいま。。。
日本サンと日本シスコを創った人物はもともと日本DEC横浜支店にいた
「ダミアン佐藤」と呼ばれた日本MIPS社長とMIPSとSGIと池田庸子さん
日本SGIを創ったのは、元理経の人
村井純氏からの突然の電話
JUNET最後の総会@有楽町マリオンはさびしい
東海大、SRA、自宅を結ぶ、三角線
SRAには海の生物がいっぱい。イカさんだの、XXさんだの、XXさんだの
あっと、SRAにはドクタケや佐原も。サワラ?
主任教授の成島さんがオーケーしてくれた。うれしかった。
最初のUNIXマシンがPDPだったのはラッキーだった
JUS(日本UNIXユーザ会)がよく総会を開いてた会場は私が結婚式をあげたところと同じだった
PDP-8を日本で最初に導入し、使ったのは。。。(まだ日本DECは存在しなかった)
PDP-11を日本で最初に導入し、使ったのは。。。
DECUS(DEC-User-Group)に日本で最初にプログラムを登録(1XXX年)
TUG(TeX-user-Group)をまねて日本で作ったJTUG(Japan-TeX-User-Group)
TeXを「テック」と呼ぶことに決定した第1回JTUG総会はIBMで開かれた
TeXを注文したら、何本も送られてきた磁気テープ。その量にビックリ
TUG名簿で会員の日本人を調べてみたら。。。私以外にもいた
JUNET→WIDE→そしてIIJへ。SRAのメンバーが大移動
UNIXの普及に大きく貢献。SONY/NEWSは画期的だった。SRAが深く関連。エドガー・クックさんも
JUNETを何て呼ぶ。ジュネット、ジューンネット(村井純ネット?)、ジェーユーネット、ジャネット
まだ時効にならないのでしゃべれない話がわんさか残ってる
最新更新日:2014-09-11