ほかの先生が「ゼロ知識対話証明」について書く前に書いてしまおう。 :-)
そもそも「ゼロ知識対話証明」の始まりはこんな話だったと思う。
アメリカではよくA男君とB子さんと言うときにアリス(A)とボブ(B)が使われるので
ここでもそのままアリスさんとボブ君にしよう。
二人は結婚していたのだが、
離婚して財産を分けることになった。しかし、いま二人は別居して
遠くに分かれて住んでいる。交渉は長距離電話を使うことになる。
お互いが好きで買った車をどっちがもらうかが話題になった。
ボブ:「じゃあこうしよう。いまコインをトスするから、ヘッドかテールか言ってくれ。
あってたら、君に譲るよ。いまコインをトスしたよ。さあ表か裏と言ってくれ」
アリス:「裏」
ボブ:「あ、残念だね。表だったよ。じゃあ車は僕がもらうよ」
さあ、果たしてこれは公正な勝負だったろうか?
こんなことがきっかけだったと思う。
ゼロ知識、つまり知識を与えないとはつぎのようなことである。
『ある情報を知っていることを相手にその知識を与えることなく信用させる
こと』である。
たとえば、花子さんがモテモテで、花子さんを好きな太郎君と次郎君と
たまたま3人が一緒になった。
ただし、お互いに少し距離があって
内緒話ができない状態だったとする。
そして突然、太郎君が、さも自慢気に次郎君に話しかけた。
太郎:「オレ、花子の誕生日、知ってんだーー」
次郎:「エー!!ウッソだろー」
太郎:「いや、本当だよ。」
次郎:「またー。じゃあ言ってみてよ」
太郎:「なに、言ってんだよ。言ったら、オマエに知られちゃうじゃんか」
次郎:「ほら、やっぱりウソなんだ」
太郎:「違うワイ」
次郎:「じゃあ、言ってみて」
太郎:「。。。」
さて、どうやって誕生日を知ってることを次郎に(誕生日を知られないように
して)信用させたらいいだろうか。
クレジットカ−ドを使ってお店で品物を買うときには用心が必要である。
カ−ドの番号、有効期限、名前を店員さんにわからせてしまうと、
とっても危険なわけである。(普段は店員を信用してこういうことをしている
んでしょうが)
そこで、カ−ドの持ち主が自分であることを、
店員にカ−ドの番号や暗証番号
有効期限等を知らせないで信用させるのが一番いいわけである。
と、こんなように、いくらでも利用法がある。
ほかにも、同じような状況はいくらでもあると思う。
最近のいろいろな事件をニュースや新聞で見るたびに、思うのだが、
もう少しゼロ知識のようなものが使えんもんかなぁと。
駅から東海大学まで歩く途中に心臓破りの大階段がある。
ある日、そこのところに、看板が立っていた。
「ここにゴミを捨てないでください」
ふと、それまで気づかずにいたが、よくみると、階段の脇にゴミが
捨てられていた。「あ、そうか、ここにゴミを捨てるという手もあったか。」
と気がついた。ここで一つ、知識がついた。
この知識によって、じゃあここにゴミを
捨ててもいいんだと考える人も出てくるかもしれない。いままで気がつかなかったのに。
この看板は誰でも見ることができるから、そういうことになる。
本来なら、いままでゴミを捨てていた人だけに気がつけさせばよかったのであるが。
それをそういう知識を持っていなかった人にも知識を与えたのは
失敗だったんではないかと、ふと考えてしまう。
ほかにもAさんとBさんとどっちがいまたくさんのお金をもっているかを
金額を相手に知らせないで調べる方法など。
枚挙にいとまがない。
たとえば、期末試験の直前になって質問にくる学生がいる。
こういう学生はずるいなあと思っている。
すでにこちらは試験問題を作ってあるのだからどうしても
余分な知識をあげたくない。うっかりすると、その学生にどんな問題が出るかを
教えてしまうことになるかもしれないからだ。
問題を見破られないように神経を使わなければいけない。